コウモリ的
「ぼくはコウモリだっ!!
動物が有利のときは動物の仲間にはいり…
鳥が有利になるとちゃっかり鳥の仲間にはいっている
コウモリなのだ!」
(「炎の転校生」(島本和彦)7巻より)
常々私は、自分が「コウモリ的」だと感じています。
上記の引用では、ちょっとネガティブなイメージですが、もうちょっと拡大解釈して、
「複数の属性の中で自分がどちらにも所属している(あるいは、どちらか判断つかない)と感じる」
というような意味のつもりです。
コウモリ的だと思う要素は、色々あるんですが…
中で一つ感じるのは「理系/文系」という属性に関してですね。
私的には、そもそも「理系/文系」なんてもので、人はカテゴライズできないと思っています。
でも、世間的にはしばしば話題に上ったりしますよね。
なんか、そんなタイトルの漫画もあったように思いますし、あの大槻教授は「子供は理系にしろ」みたいな本を書いていた気がしますし…。
確かに、経歴(学歴)という面だけでいえば、「理系/文系」というのはあるかもしれません。
私の経歴に関して言えば…
私は、もともと理科好きだったのですが…(特に生物)
中学・高校時代、今一つ数学や物理が苦手で(逆に英国社の方が得意だった)、高校では、文系クラスでした。
だから、高校時代の経歴的には「文系」なんです。
志望も教育学部の「社会科教員養成課程」として模試など受けていました。
でも実は、それほど社会科が好きだったわけじゃないんですよね…。
その頃図書館で読む本は、専ら自然科学系のものが多かったです。
「Newton」や「OMNI」(当時あった科学雑誌)なんかを読んで、息抜きしたりもしてました(笑)。
で、受験の土壇場になって、好きだった「生物」に賭け(高校の生物教師なら、他の科目がダメでもなんとかなるだろうと…)、急きょ志望を変更…なんとか「教育学部理科生物(高校教員養成課程)」に潜りこんだのでした。
実際のところ、物理や化学の授業を避けられるはずもなく、えらい苦労することにはなったのですが…。
でも、研究室は楽しかった…(苦しいことも多かったけど)。
今でも、恩師とは懇意にさせてもらっています。
まあ、科目的には「理系」となったわけですが、教育学部という段階で厳密な意味で理系と言えるかどうかは微妙ですよね。(理学部とかじゃないですからね。)
そこも、コウモリ的な感じはあります。
しかも、その中でも物理や化学では無く、「生物」ですからね。
生物って、今一つ「モヤモヤっと」したところがあって、理系って感じあまりしないですよね?※
そんなところも、コウモリ的だと思うんです。
※ 生物学も、現代的なバイオ(分子生物学や遺伝子)なんてジャンルは、かなり理系的な感じがしますけどね。
でも、生物学の起源は博物学的な側面(分類とか行動学)からなのだと思います。「セントラルドグマ」なんて考え方が出てきたのも20世紀中盤ですし。
私の大好きな「ファーブル昆虫記」なんてのも、動物行動学に類するジャンルだと思いますが、あまり統計や化学的手法は用いられていないですよね。
生物学は、対象が複雑なので、物理のような法則性が導き出しにくい分野なんじゃないでしょうか。そこが理系的に感じられない所以なのかなと。
(こんなこと言うと、恩師からとび蹴りを食らいそうだけど…)
一見理系的と思える面としては、もう一つありますね。
私は、仕事でゲーム開発に携わっており、広義には「コンピュータ関連(IT)職」従事者ということになります。また、職業プログラマーでは無いですが、ご覧のとおり趣味でFlashゲームなんかも作ってます。
巷ではコンピュータ関連(IT)職と言えば理系というイメージがあるんじゃないでしょうか。
でも、自分では、あまりそういう実感は無いんですよね。
プログラムも、「言語」と捉えれば文系のような気もするし。(昔、そんなことを言っていた天才肌プログラマーの方もいたなあ)
もちろん、プログラムで扱う内容に関数や計算式は避けられないので、数学的思考も確かに必要ではあるのですが…。
そのあたりも、私はかなり「家電をチョップでたたく」ような感覚(Try & Error)でやってる気がします…。
※ 厳密には、FlashのActionScriptは「スクリプト言語」なので、アセンブリ言語やC言語などの「プログラム言語」とはちょっと違うんですけどね。
「コウモリ的な経歴」というのは、わかっていただけたかなと思います。
でも、世間的な「理系/文系」というのは、こういう客観的事実よりもむしろ、ものの考え方・価値観の違いを意味しているような気がします。
概ねこんなイメージかなと…。
・理系:理性的。理論的。細かい所にこだわる。情が薄い。非社交的。
・文系:感性的。理屈嫌い。おおらか。情に厚い。社交的。
※ あくまで、「一般的なイメージだと私が思っているイメージ」です。
では、自分はどうなのか?
…これが、なかなか難しい。
私は自分をこう表現したいです。
「心は理系、体は文系」(コナン君的に・笑)
気持ち(=心)としては、理性的、理論的であろうと努めているつもりです。
決して感情的、皮膚感的にはなるまいと気を配ってます。
…しかし、無意識に取る行動(=体)は全然理系っぽくない…。
・家電の調子が悪い時は、まずチョップでたたく。
・AV機器の配線を見ると、イライラする。
・目的地を確認する前に、まず歩き出す。
・計算は面倒なので、フィーリングで判断。
(だから、カードゲームとかボードゲームとか好きなんだけど、勝率は低い)
このあたり、むしろ世にいう「悪い意味での」文系っぽい感じです。
だからと言って、文系の美徳があるかというと、情が厚いわけでも、社交的でも無いのですが…。
(まあ、「あまり細かいことは気にしない」ってのは文系的美徳かな。「適当」万歳。)
繰り返しますが、理系/文系なんてもので人を分類しようなんてのは、無理のある話だと思います。
私みたいなどっちつかずの人間もいることですし、理論的だが社交的で情に厚い理系(文系)なんて人たちも、たくさんいるでしょう。
ただ、自分のコウモリ的な経歴と実感値とのリンクがちょっと面白いと思い、話題にしてみました。
↑ということで、即席で作ったキャラ「川堀パタ夫くん」。
当研究所の助手という事にしておきます(笑)
(即席なので、芸は特に無いです…。)
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実は、私のこのコウモリ的というのは、「理系/文系」の話だけじゃないんですよ。
仕事でもですね…。
まあ、この件はまた別の機会があれば…。
(2010.10.26)
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