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体罰論に思うこと

長いです。
しかも、愚痴っぽいので、読まなくて良いです(笑)。

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最近、あちこちで体罰に関する話題を見ます。

その意見のほとんどは、もちろん体罰反対。

評論家やジャーナリストの多くも、体罰の全面禁止を主張しているようです。
(↑この記事によると。この記事は珍しく体罰をやや擁護していますが)

私も、体罰かどうかに関わらず、暴力は嫌いです。

その意味でも、この話題の発端となった事件自体は、悪しきことだと考えています。
(自分の得た限りの情報では)

しかし、どうも現在の「体罰反対論」の論調には、微妙に引っ掛かりを感じてしまうのです。

ちなみに、以前も書いた気がしますが、私は教育学部出身。
(結局、教師にはなりませんでしたが…)

そういえば学生当時、ある授業で「体罰容認か反対か」で議論させる…というのがありましたね。
その授業は議論させるのが目的だったので、そこで結論が出たりはしなかったと記憶していますが。
(もはや大昔の話です。今では、体罰については議論の余地も無いのかもしれません)

体罰とは何か。

Wikipediaの冒頭の記述は、私の認識とも概ね合致しています。

「体罰は、父母や教員などが、子どもや生徒などの管理責任の下にあると考えられる相手に対し、教育的な名目を持って、肉体的な苦痛を与える罰を加えることを指す。この場合の苦痛とは、叩くなどの直接的なものから、立たせたり座らせるなどして動くことを禁ずるなど間接的なものも含む。」(引用)

要注意なのは、叩く、しっぺなどの直接的なものだけでなく、立たせる、正座させる、校庭十周…など、肉体的苦痛を与えるものは、すべて体罰と考えられるということです。(私の学生当時も、そういう認識でした)

ここで思うのは、教師に学習指導だけではなく、社会規範の指導…いわゆる躾(しつけ)を課すかどうかということ。

躾の義務が無ければ、体罰全面禁止で問題ないと思います。

しかし、これだけ技を封じられた上で躾もしろというのであれば、かなり厳しく感じてしまいます。

もっとも、ほとんどの教師の方が、今の環境でちゃんとやっているんだから、大丈夫なんでしょう。
私が心配することではないか。
最近は、犬の躾ですら、叩いたりしないのが主流らしいですから、そういうメソッドもあるのかもしれませんね。

それよりも気になるのが…

体罰否定派の中には、「体に苦痛さえ感じさせなければ良いのだ」と、思っている人がいないでしょうか?

確かに体罰のダメージによっては、直に命に関わる危険性があります。
(過去にはそういう事例もありました。)
感情にまかせて行う体罰は、その危険が大きく、絶対に避けるべきです。
そもそも、感情に任せて暴力を加えるようなやつは、人間失格と言っていい。

ですが、今回の事件では、体罰のダメージ自体が原因で亡くなった訳ではないですよね。
むしろ、精神的な苦痛がその原因だったのではないかと思うのです。

私は、罵倒などによる精神的ダメージの方が、大概の肉体的苦痛よりも危険なのではないかと思います。
体罰論の中では、この精神的な苦痛というものが見落とされていないでしょうか?

体罰なんて使わなくても「いくらでもキツく言えば済むじゃないか」と安易に考えているのではないか。
つまり、精神的苦痛というものを軽く見過ぎているのではないか、と疑いたくなってしまいます。

体罰というと限定されるので、精神的暴力も含めて、ハラスメントという言葉を使います。

このハラスメントの問題は、学校の問題だけに留められるものではありません。

「体罰教師は許せん!」と憤慨した人が、その直後に…

自分の部下に向かって「お前、何度も同じミスしてんじゃねーよ! 使えねえ奴だなァ!」と罵倒する。

もしくは、ネットで気に食わない芸能人のツイッターやブログに悪口雑言を書いて炎上させる…

そんな様が、ふと目に浮かんでしまいます。

こんな人に、他人のハラスメントを非難する道義的正当性があるんでしょうか。

まあ、あくまで架空の話です、そんな自己矛盾するような人はいないですよね。
体罰非難するような方々は、言葉の暴力とも無縁だと信じます。

もっとも…

先日、駅で駅員に暴言を吐いている親父さんを見ました。
同じく駅で、部下と思われる若者をバカ呼ばわりする上司と思しき人も。
電話越しに相手を罵倒するビジネスマンも見かけました。

もちろん、相手はなにか失敗をしたんでしょう。
しかし、教育的配慮としても、そんな時に(言葉の)暴力が許されるものですかね?

相手が子どもか大人かの違い?
法律の問題?

いやいや、「人として」という話でしょう。
子供に対して、優しい言葉だけで教え諭すことが可能なら、大人に対してはもちろん可能なはず。

評論家やジャーナリストの方々には、ハラスメントを学校だけの問題として矮小化せず、こういう巷の暴力も同時に糾弾していただきたいものです。

(ついでに、お笑い芸人が相方をツッコミで殴ることや、苦痛を伴う罰ゲームや、過剰な「いじり」も糾弾しますかね。私はそこまでは思いませんが。)

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ふと、架空の世界の話を思いつきました。

ある架空の学校。

ここの教師には、体罰が禁じられている。
言葉による注意は認められるが、叱責や罵倒は認められない。
つまり、教師自身には、躾の手段はほとんど与えられず、その義務も無いということ。
(ただし正当防衛、あるいは他の生徒の防衛のためには、ある程度の実力行使は認める)

生徒が悪いことをした場合、1回までは言葉で諭す。

そして「同じことをしたら、次には「罰点」が与えられるから気を付けるように」と忠告する。

もし、同じ悪事を二度目に行った場合には、その生徒の罰点を1~3点加点する。(その悪事の性質による。これはなるべく客観的な基準で求められるよう決めておく)

罰点が3点に達した生徒は、学校に設けられた「反省室」に送られる。

地下にある、薄暗い、厳粛さを感じさせる部屋。

そこには、警策(きょうさく。座禅の際、修行者を打つ道具。竹篦(しっぺい)ともいう)を持った、お坊さんが待っている。

(お坊さんはその筋の達人。当然精神的にも安定した方)

まず生徒たちは、お坊さんによって、自分たちがなぜここに呼ばれたのか、思い出させられる。

そして、お坊さんによって、警策で背中を打たれる。
(嫌になるほど痛いが怪我はしないというイメージ。打たれたことないので実際は分からないが。)

最後には、お坊さんのありがたい(が退屈な)話を聞いて、終わる。

この部屋には、他の生徒は立ち入れない。
(大勢の前で体罰を受けるのは、精神的苦痛になるので)

あくまで非公開の部屋で行われる。

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上の架空話も、体罰の一種ですね。
そして、ある意味、恐怖で統率しているとも考えられます。

なので、今の日本の学校では許されないことです。

(ちなみに「XXしたら、バチが当たるよ」のような宗教的文言も、恐怖による統率の一種ですね)

(2013.1.29)

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