富裕層に増税
(読売新聞 1月10日 Yahoo!ニュース経由)
「自民、公明両党は9日の与党税制協議会で、所得税の最高税率を引き上げることで大筋合意した。」(上記より)
ほほう、そうですか。
軽減税率導入を検討してるという話もあるし、ちょっと昔の自民党のイメージとはガラッと変わった印象。(かつては強者の味方という感じだったような…勝手な思い込み?)
でも、個人的には賛同します。
富裕者に厳しく、貧困者に優しい。
良いんじゃないですかね。
ただ…、これって、決して「平等」ってことではないですよね。
平等という意味では、全ての層に等しい負担でないと。
累進課税は、不平等。
一律な消費税の方が、平等。(軽減税率は不平等)
なので少し昔は、安易に富裕層に多くの負担を求めることには、やや躊躇する立場を取っていました。
(だから、私はサンデル教授の「コミュニタリアニズム(共同体主義)」にはやや賛同しかねるのです。まあ、自分は富裕層でも貧困層でも無いから、あまり関係無いのだけど。)
しかし最近、これは「考え方が違う」のではないかと思い始めました。
この政策は、「平等」を目的としているのではない。
ゲーム的な意味で、より「おもしろさ(=幸せ度)の総量の高い社会」を目指しているものなんじゃないかと。
富裕者でも、貧困者でも、「幸せだなあ」と感じた時の得点は、同じだとします。
(まあ、概ねそう考えて差し支えないですよね。)
例えば、美味しいものを食べる場合。
富裕者は、まあ、多少高額なものを食べないと「美味しいなあ」ポイントは得られないでしょうが、それにしても、胃の容量は貧困者と変わらないので、どんなに贅沢しようとしても限度があるというものです。
一日三回「美味しいなあ」と思えれば、それ以上はほぼ無意味。
その分、使いきれない富が余剰してくるはずです。
(さらに言うと、本当のセレブは、けっこう節制している人も多いと聞きます。ステレオタイプの王様のような金持ちってのも、意外に少ないんじゃないでしょうか。
あと、海外では高額の寄付をする人も多いと聞きますが、日本ではあまり聞きませんね。投資は、ちょっと意味が違いますね。ある意味社会貢献でもありますが、結局戻ってくることも期待しているわけで。)
一方、貧困者は、確かにより安い金額でも「美味しいなあ」を得られますが、日に三回「美味しいなあ」ポイントが得られる人は、そうはいないはず(だからこその貧困者なので)。
とすれば、富裕者のポイントを、貧困者に分けてあげられれば、幸せポイントの総量は上昇するんじゃないか…ということです。
「スーパーGT」というカーレースがありますが、これに、「ウェイトハンデ」というルールがあるんですね。
これは、前回成績の良かった車ほど、多くの重りを載せて走らなければいけないというルールなのですが、当事者にしてみれば、ある意味、不平等なわけです。
ですが、観客にしてみると、毎回緊迫した接戦を見ることができ、どこが優勝するか終盤までわかりにくいという「おもしろさ」を得られます。
これと同じことかなあ、と。
(とはいえ、サンデル教授のように「富裕者は施して当然」とも思いませんが。身を切る社会貢献には感謝してますよ)
…と、夕食にセーブオン(群馬のコンビニ)の半額見切り品の塩焼きそば\98を食べながら、思うのでした。
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(関係ないけど…おまけ)
萌え萌え絵馬。
先日の角大師の寺(に併設された神社)に(前回載せ損ねたので)。
いまや伝統宗教もリベラルになったなあ…。
(2012.1.10)
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