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渋沢栄一記念館

少し前の話ですが、

「渋沢栄一記念館」(埼玉県深谷市)

に行ってきました。

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渋沢栄一は、幕末~大正にかけて活躍した、埼玉県の偉人。
日本経済の父といわれる実業家で、現在も存在する多くの会社の設立に関わっています。

名前だけは昔から知ってましたが、功績については良く知りませんでした。(教科書に出ててもおかしくないが、記憶にはない…)

ですが最近、富岡製糸場の関連施設を巡る中で、関係者として渋沢栄一の名前が頻繁に登場してきて、ニワカに気になってきたのです。で、今回の記念館訪問ということに。

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記念館裏にある、渋沢の像。

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(この像、なんか頭身が低くないか?) (ヒッチコックに似てる?)

この記念館で、渋沢栄一の偉大さを知ることができました。

まず、第一勧銀(現みずほ)、サッポロビール、東京ガス、王子製紙など多くの会社の設立に関与しています。しかも、本人は日本の近代化のためと考えて起業し、個人的な利益を得ることを嫌っていたのだそうです。なので、会社の名前にもほとんど「渋沢」をつけなかったのだそう(館長さん談)。

それから、富岡製糸関連。
渋沢栄一は養蚕の「清涼育」を確立した田島弥平 (旧宅が世界遺産となっている)と交流があり、田島弥平が蚕種販売会社設立と運営には渋沢栄一の関与があったそうです。

また、当時、明治政府官僚だった渋沢栄一は、農家出身であり養蚕の知識もあったことから、富岡製糸場設立に関わり、ポール・ブリューナを招致しました。

さらに、製糸場建設を担当した尾高惇忠は渋沢栄一の従兄で、その娘は工女第一号でした(当時、西洋人は生き血を飲むと恐れられ、工女のなり手がなかったそうな…)。

と、まあ、偉業を並べてみましたが…実は私が渋沢栄一に本当に感服したのは、もっと違う部分だったのですよ。

記念館の資料で知ったのですが…

尾高惇忠と渋沢栄一は師弟関係にあったのですが、幕末には倒幕・攘夷思想を持っており、高崎城乗っ取り計画を立てていたのだそうです。

その時、惇忠が書いた文章がすごい。

「…外夷の畜生共を不残踏殺し…(略)…偉人は全く狐狸同様と心得、征伐の御供す可きもの也」
(よっぽど外人が嫌だったようだ…)

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惇忠の生家。記念館の後で、こちらにも寄ってみました。

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ここの二階で、二人は倒幕計画を話し合っていたそうな。

しかし、その計画は惇忠の弟の説得により中止となります。

で、そんな渋沢ですが、その後、ちゃっかり徳川慶喜の家臣になったりします。
(倒幕を企ててたのに…)

その際、慶喜の弟に随行し、パリの世界大博覧会に派遣されます。

そこで、ヨーロッパの文化と平等主義に触れ、なんと、すっかり西洋文化の虜になってしまったのでした。(あんなに攘夷思想だったのに…)

その知識や経験などもあって、後に大成功をするわけですが…その豹変振りというか節操のなさがすばらしいと思いました。
自分の古い考えに固執せず、新たに良いと思ったものはどんどん取り込んでいく。なかなかできないことですよ。

知識が少ないときには、考えは狭いものです。接点のないものに関しては悪く考えがち。しかし、実際に触れてみるとその良さが感じられることも多いと思うのです。

もし、渋沢が昔の考えに凝り固まって、仕官を断ったり、海外渡航を断ったりしていたら、この成功もなかったわけなんですよね。

ああ、自分も見習わなきゃ行かんなあ、と思いました。

渋沢栄一の、いわゆる偉業とは違った部分に、感銘を受けてしまったのでした。

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若き日の渋沢と、後年の渋沢と、ふっかちゃん(2014準優勝)。

(2014.12.15)

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